初めてのテクテク
平成7年5月7日
 大峰八経ヶ岳 1915m  バイク             

理源大師像 八経ヶ岳より弥山望む
山頂にて 夫婦の行者さん 南奥駈道

10:00〜30トンネル西口〓11:30奥駈道出合〓13:00〜20弥山(食事)〓13:40〜50八経ヶ岳〓17:00トンネル西口

 
百名山とは知らずに関西で一番高い山にひかれて登る。ガイドブックの所要時間で登れるか分からないが登れるところまで行こうと。自宅を出発した時間は忘れたが、途中で道に迷ったり、間違ったりして遅れてトンネル西口に着く。
 橋の手前より清水が流れる谷に入り、右岸道を歩き、(ガイドブックとは違うコースを歩いてしまう)やがて左岸に渡り枯れた沢になった地点で、赤いテープを目印に山斜面に取り付く。新芽が出始めたばかりで見通しが良く鉄山が目立つようになり、バリゴヤの頭の凸凹稜線も見えてきて、見るもの全てが新鮮に感じる。
細君は2本の枯れ枝を杖にして登る。誰にも会わない尾根道を登りきり奥駈道にでて一安心。ベンチに座り休憩する。
 小さなアップダウンを繰り返しながら
奥駈道を歩く。石休場宿跡あたりから下山者が多くなり道を譲ってくれるので早足になりリズムが狂う。聖宝ノ宿跡に着くと理源大師像があり休憩するが誰にも会わなくなり不安になる。
理源大師像前を通り過ぎジグザグにつけられた急坂を登ると尾根道(下山時、尾根を直進して理源大師像に気づかず)に出る。緩やかになると前方にトウヒが茂る弥山への急坂が見える。やっと目的地が見えてくるが帰りの時間を考えると引き返すべきか立ち止まり考える。。「ここまで来て・・。」の思いが強くて引き返すことが出来なかった。
 弥山に着く。国見八方覗からの展望が良かったので、八経ヶ岳は諦めることにして食事にする。若者二人は下山支度をしている。もう一組の同年輩の男性2人はビールを飲んでノンビリしている。下山の仲間がいて安心していると「弥山小屋泊まりです」と聞いてショックを受ける。「ここまで来て八経ヶ岳に登らなくては」と云われて急いで食事する。
 八経ヶ岳頂上に立つ。山頂からの展望に大感激する。特に大普賢岳の凸凹した稜線が印象に残る。また山伏姿の年配夫婦がほら貝を吹いて周りの山々に響き渡らせる。信仰の山だと再確認する。
 下山、2Lあったペットボトルの水も3分の1になっている。時々、往路の記憶で覚えている岩や倒木などの風景を確認しながら下りるが、理源大師像とジグザグの急坂を通らないで石休場宿跡を過ぎる。コースの前後が曖昧になり理源大師像はまだ先だと思っていたが、不安を感じながらも忘れてしまう。
 薄暗く感じるようになった森の中で、鳩より一回り大きい美しい鳥が(後日ブッポウソウと分かる)奥駈道
を木から木へ、僕らと10m〜30mの間隔を置き、数分間道案内をしてくれる。立ち止まる余裕もなく黙々と歩きながら観察する。
 『トンネル西口』への下山標示。朝と違う感じだが同じようなベンチ(違った。朝の道はまだ先だった。)がある。暗くなりかけたが、後はここを下るだけなので、少なくなった水を飲んで休憩する。
 左折して急坂を下る。途中、大普賢岳まで往復した男性が足早に追い越していく。「トンネル西口に下りる」と聞いて道は間違ってないと確信するが、シャクナゲが茂る急坂を過ぎると、左から沢音が聞こえてくる。
『理源大師像がなかった?こんなシャクナゲの急坂はなかった?沢音は聞かなかった?先ほどの男性と違った道を下山してしまったのか?何処に下りるのだろうか?バイクの所まで戻れるのだろうか?今日は野宿か?』と不安になる。
 沢と沢が出合う所に下りてくる。「ここは何処だ」道が見当たらないので頭の中はパニックになる。対岸に渡り小高い所に上がると、朝の広い右岸道があったのでホッとする。疲れ果ててお腹を地面につけて、直に沢水を飲む。
100mほど下るとバイクを止めてあるトンネル西口に着く。明かりのある間に帰り支度をする。出発する頃には暗くなっていた。

 飛び跳ねるように下山することができずに、登りと同じほど時間がかかることを知る。しかし我々でも山登りができることを知る。

 反省 早朝出発・登山口の確認・多めの水を用意する・非常食の準備。

 下山時に出会った男性、京都からホンダのスーパーカブで来ていた。後日、平成14年4月に滋賀県の大御影山の山頂で出会う。今は中型バイクになっているらしい。

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