平成18年10月22日 呉枯(くれこ)ノ峰533m・田上山(城址)


姉川から見た呉枯ノ峰(奥中央)と田上山(手前右)。

駐車場所。
高架下を潜ると登山口。

 天候は下り坂。予定していた三重の山を諦めると何処へ行こうか迷ってしまう。
中国地方の大山は天候が良さそうだが、夕方の5時までには帰宅したいので時間に余裕がない。
結局、山ではなく菅原道真が再興した菅山寺と樹齢1千年といわれる大ケヤキ、序でに呉枯ノ峰に登ることにする。
 7時前に木之本・坂口に着く。しかし国道365号沿に見えた神社を登山口だと勘違いして、神社の裏に回り北陸自動車道に架かる橋を渡った所に駐車する。ガイドブックでは自動車道を潜るのだが?ガイドブックが間違っているのだろうと勝手に解釈したりする。現在位置を理解するのに10分以上かかってしまう。
 坂口集落内の道に入ると朱色の大鳥居があった。鳥居横を走り山へ。左に里坊弘善館(菅山寺資料館)を見ると直ぐに高速道に突き当たる。ここに駐車スペースがあったので駐車する。144km

7:35坂口登山口〓8:10呉枯ノ峰・菅山寺分岐〓8:20〜9:05菅山寺散策〓15呉枯ノ峰・菅山寺分岐〓9:44〜10:42呉枯ノ峰〓11:25〜30田上山(城址)〓57黒田集落〓12:30坂口登山口

【菅山寺へ


参道。

少し頭を傾け瞑想?

石仏。

呉枯ノ峰・菅山寺分岐にて。

ブナ林の参道を下り菅山寺へ。

分岐にて。
西方面の琵琶湖・山本山などが望まれた。

 


樹齢千年といわれるケヤキの大木。


護摩堂。

本堂。

朽ちた五所権現。

近江天満宮。

五所権現と朱雀池。

弁天堂

 北陸自動車道高架下を潜ると登山口(参道)があった。今年は里でも熊出没騒ぎが多いので鈴を鳴らしながら整備された参道を登る。アキノキリンソウ・コウヤボウキ・シロヨメナが咲き、石仏が点在する。尾根道になるとブナの木が多く見かけるようになるが、まだ青々しており黄葉には一段の冷え込みが必要のようだ。 
 呉枯ノ峰・菅山寺・ウッディパル余呉の分岐に着く。西方面が開けていて霞んではいたが山本山・琵琶湖などが見えた。
左折して下ると高速道の騒音が聞こえなくなりブナの木が多い。10分ほどで樹間から菅山寺の本堂の屋根が見えだし、道真公のお手植えといわれる大ケヤキが眼前に現れ圧倒される。
護摩堂に寄り、再び大ケヤキまで戻り本堂へ。本堂は傷みがひどくて少し大きな地震でも起これば倒壊しそう。境内散策もここまでと戻りかけると、境内で出会ったウッディパル余呉からのご夫婦に「近江天満宮へは?」。・・忘れていた。
鐘楼横の石階段を下ると大きな朱雀池があり、池を見下ろすところに道真公が幼少のころ勉学に勤しんだ近江天満宮があった。
これだけの建造物があるのに無人だった。大事な宝物・資料は里坊弘善館に保管か。出会った夫婦は宝印してもらえないので困っていた(弘善館で宝印されているようだが閉っていた)。


【呉枯ノ峰から田上山城址経由で下山】


山頂へ。 アキノキリンソウ

コウヤボウキ

シロヨメナ

呉枯ノ峰山頂。

田上山城址。

黒田の集落に下りて来る。

 呉枯ノ峰・菅山寺分岐に戻り、緩やかな雑木林でアップダウンのある稜線を歩く。呉枯ノ峰頂上手前200mに田上山分岐があった。予定ではピストンだったが、田上山経由で下山することにして呉枯ノ峰へ。
平坦な呉枯ノ峰頂上1等三角点だが展望はない。高速を走る車のエンジン音が聞こえてくる中で鍋焼きうどんを食べる。
 田上山分岐まで戻り、左折すると、あまり利用されていないのか踏み跡程度の道で目印のテープもない。南に向きを変えて稜線を歩。
鞍部で分岐があり、登りと直線の道に分かれる。登りの稜線道を選ぶと台地状の緩やかな道になり田上山城址に着く。どこが頂上なのか分からない。
掲示板の説明によると、『東西190m×南北410m。賤ヶ岳の合戦に備えて秀吉の異母弟の秀長が陣をおいた。事実上の本陣』とか。
掲示板の所で道は分かれていた。近道だと思い西に下るが踏み跡が怪しくなり、戻り南へ下ると整備された道幅のある木階段になる。この下山道は木之本小学校に出るようだ。帰りの長い車道歩きを覚悟すると分岐があった。
少しでも近回りだろうと思い右の木階段を下る。殆ど歩かれてないようで、木が茂り、倒木で階段を隠すことがあったが、堰堤のある谷に下りてくる。そのまま右岸を下ると民家の屋根が見えて小さな神社の横に出てくる。車道を歩いて坂口集落へ。

 魅力のない呉枯ノ峰だが、低山ながらブナの木が多く見られ、歴史を感じる菅山寺と大ケヤキが見られて感謝。
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